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 J.A. Auto Body Inc. 菅原義夫 氏

名前 :菅原義夫
設立時の年齢 : 29歳
設立年度:1997年
会社の形態: S-Corp
業種 : 自動車ボディー修理業
起業時の準備金: 5千ドル
設立州 : NJ州

経歴 : 47年仙台生まれ。16歳で地元の高専を中退し、自動車の見習い工に。その後、埼玉でオートボディーショップを営んでいる兄の事業を手伝う。24歳の時、アメリカで日本車を輸入する会社の求人を見つけ応募、アメリカに渡る。1年後、米系の町工場に転職。職場の経営者が変ったのを機に独立を決意。77年、J. A. Auto Body Inc. を設立、現在に至る。

会社情報
会社名 :J.A. Auto Body Inc.
資本金:5千ドル
年商:約80万ドル
従業員数 :4名

菅原社長は、誰にでも愛される底抜けに明るいキャラクターの持ち主です。地縁もなく日本人の誰もいない場所で開業したにも関わらず、地元のアメリカ社会に深く溶け込み30年以上も商売を続けて来れたのは、確かな腕と正直さ、そして誰をも明るくさせるこの人柄抜きには語れません。「30年やってもこの程度です。」と本人は、謙遜するものの長く続けて行くことの大変さは、経営者なら誰もがわかります。60歳を目前にして再度、更なる飛躍を目指し夢を語る姿に多くを学ばされました。

起業した時、苦労したこと

独立を決意し、不動産屋に紹介された貸し工場は、日本人が誰も住んでいない知人も土地勘もない場所でした。保険会社の系列工場でもない独立系だったためあてにしていたディーラーからの仕事も来ませんでした。お金がないため工場の2階に住み、水道の水でシャワーを浴びる貧乏生活が2年間続きました。地元密着で行くしか道はなく、アメリカ人社会に溶け込もうと毎日のように地元の住民、非番の警察官や消防署員らと交流し、工場や近所の酒場でお酒を酌み交わしました。やがてどこに行っても「Yoshi!」と家族のように声をかけられるようになり徐々に仕事も増えていきました。

これから起業する人へのアドバイス

私も最近やっと気づいたのですが、自分を見限るのは一番楽なことで、自分の能力を過小評価し自分で限界を作ってしまえばそれ以上決して事業は大きくなりません。堅実にやることと「これで十分だ。」と一定以上無理をしないのは見た目は同じでも考え方が違う分結果は大きく違ってきます。「進まざるは退転なり」という言葉がありますが、一旦事業を始めてしまえば伸びることをやめてはいけないのです。ましてや一人でも従業員を雇ってしまったならなおさらです。従業員の将来の成長はその経営者に志にかかっているのです。経営者が事業を発展させたいと強く思い奮起し続けることで自然と従業員も会社と自分の未来を信じるようになり会社が大きくなっていくのだと思います。
初出:「アメリカンドリーム2007年12月号」

取材・木田俊彦 / Johnman USA 社長。同志社大学卒。リクルート退社後、94年に渡米。カラオケのパイオニアとして、また、NYの若手起業家グループの中心的存在として活躍中。
 
 
 

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